MATT HAIG著 『THE MIDNIGHT LIBRARY』翻訳其の⑨

                   真夜中の図書館


エルムさんは話すと、彼女の目は生き生きし、月光の中の水たまりのごとく輝いた。「命と死の間に図書館はあります」エルムさんは言った。「そしてその図書館の内で、本棚は永遠に続きます。全ての本はあなたが生きることができたであろうもうひとつの別の人生を試すチャンスを与えてくれます。あなたが別の選択をしていたらば、事態はどう違っていたか……あなたが後悔を帳消しにする機会を持っていたらば、あなたは違ったことをしていただろうか?」「それで、私は死んでるの?」ノラは訊ねた。エルムさんは首を振った。「いいえ。よく聞きなさい。「命と死の間では」エルムさんは漠然と通路の先を指し示した。「死は外側のものなのです」「うーん、私はそこへ行くべきです。なぜなら、私は死にたいから」ノラは歩き始めた。

しかし、エルムさんは首を振った。「そんなふうに死は動きません」「どうして?」「あなたは死へは行きません。死があなたのところへやって来るのです」

死さえノラが適切にやれなかったことのように思われた。

それはよく知っている感じだった。ただすべての感覚において不完全であるというこの感じ。人間の完成してないジグソーパズル。不完全な生と不完全な死。

「それで私はなぜ死んでないの?なぜ死は私のところへやって来なかったの?私は死を両手を広げて歓迎してました。私は死にたかった。でも私はここでまだ存在している。私は物事をまだ知覚してます」

「えー、少しでも慰めであるなら、あなたはとてもおそらく死のうとしてます。いずれにせよ、図書館を通り過ぎる者は長くは留まれません」

ノラがそのことについて考えたとき—そしてますますノラはそのことについて考えていた—ノラは過去の自分ではなかった観点からただ自分のことを考えることができた。彼女がなることができなかった者。そして実際、彼女がならなかったことはかなりたくさんあった。彼女の心の中で永久に繰り返された後悔。私はオリンピックの水泳選手にならなかった。私は氷河学者にならなかった。私はダンの妻にならなかった。私は母親にならなかった。私はラビリンスのリード・シンガーにならなかった。私は本当に幸せな人間にならなかった。私はボルテールの世話をすることができなかった。

そして、いま、最後にノラは死ぬことさえできなかった。

本当に情けなかった。彼女が浪費した可能性の総計。

「ノラ、真夜中の図書館が存続しているあいだ、あなたは死から守られています。さあ、あなたはどう生きたいかを決めなければならない」


               動く本棚

 

ノラの一方の側の本棚が動き始めた。本棚は角度を変えずにただ横に滑り続けた。本棚は全く動いていなかった。しかし、本は動いていた。なぜ、あるいはどうしてかは明らかではなかった。それが起きているメカニズムは明らかでなかった。本棚の端、あるいは始まりから本が落ちる音、あるいは姿はなかった。本は本棚の種類によって、様々な遅さの程度を見せながら滑っていく。しかし、どの本も速くは動いていなかった。

「何が起きているの?」

エルムさんの表情はこわばり、姿勢は真っ直ぐになった。エルムさんの顎は少し首元に引っ込んでいる。」エルムさんはノラに一歩近づき、ノラの手をしっかり握りしめた。「ねえ、あなた始めるときです」「訊ねてもいい?一体、何を始めるの?」「すべての生は何百万もの決定を含んでる。あるものは大きく、あるものは小さい。でも、ひとつの決定がなされるたびに、結果は違ってくる。回復不能の変化が起きる。その回復不能の変化はさらなる変化へ通じる。これらの本はあなたが生きることのできるすべての生への入り口なのです」


ゆるゆる警備員日誌

中年の警備員男子です。徒然なるままにケイビな日々を綴ります。

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