MATT HAIG著 『THE MIDNIGHT LIBRARY』翻訳其の⑦
なぜピアノで間違った音符がなかったについて、古い音楽家の紋切り型の表現があった。しかし、ノラの人生はナンセンスの不協和音だった。素晴らしい方向に行くことができたであろう人生、しかし、それはいまどこにも辿り着いていなかった。
時間はいつの間にか過ぎ去っていた。ノラは中空をじっと見つめた。
ワインを飲んだあと、ノラははっきりと悟った。自分はこの人生には向いていなかった。
全ての動きがミスであり、全ての決定が災難であり、毎日が彼女がそうであれば良いと願った者からの後退だった。
水泳選手。音楽家。哲学者。配偶者。旅行者。氷河学者。幸せで、愛されている。
ノラは「猫の飼い主」あるいは、「週に1時間のピアノの教師」あるいは、「会話のできる人間」さえうまくこなすことができなかった。
錠剤はうまく作用していなかった。
ノラはワインを全部飲み干した。
「あなたのことが恋しい」ノラは宙に向かって言った。あたかもノラが愛した全ての人の霊がノラと一緒に部屋の中にいるのとでもいうかのごとく。
ノラは兄へ電話をかけたが、兄が電話に出なかったので、伝言メッセージを残すことにした。
「ジョー、あなたのことを愛してるわ。ただそのことを知って欲しかった。あなたができることは何もない。これは私のことなの。私の兄でいてくれてありがとう。愛してるよ。さようなら」
また雨が降り始めた。ノラはブラインドを開けて、ガラスのしずくをじっと見つめていた。
時間はいま11時22分だった。ノラははっきりと確実にたったひとつのことを知っていた。ノラは明日に到着したくなかった。ノラは立ち上がった。ノラはペンと紙切れを見つけた。本当に死ぬには良い頃合いだとノラは判断した。
拝啓、だれかれ様
私は私の人生を生かす全てのチャンスを持っていた。でもそれらをすべて台無しにしてしまった。私自身の不注意と不運のため、世界は私から後退してしまった。そして私はいま世界から身を引くべきなのです。
留まることができればと感じれば、私は留まるでしょう。でも私は留まりません。留まることはできません。私は人生を悪い方向に持っていってしまう。与えるものは何もありません。ごめんなさい。
お互いに親切であるように。
さようなら、
ノラ
00:00:00
最初、霧は浸透力があったので、ノラは何も見ることができなかった。やがて、ノラは彼女の一方の端に柱がゆっくりと現れるのを見た。ノラは小道に立っていた。それは一種の柱廊である。円柱は色鮮やかなブルーの小さな点のある灰白質だった。霊は見られたくないんだというふうに、霧のもやは晴れた。そしてひとつの形が現れた。
固形の長方形のかたち。
建物の形。教会あるいは小さなスーパーマーケットの大きさぐらいの。建物の正面は石造りだった。それは円柱と同じ色使いである。中央に大きな木製の扉があり、屋根には豪勢の大望が感じられる。正面の破風の豪勢な時計の黒塗りのローマ数字、針は真夜中の0時を指している。等間隔に並んでいる石レンガで囲まれた縦長の色の濃い弓型の窓たちは正面の壁に区切りをつけていた。ノラが最初見たとき、窓は4つしかないように思われた。しかし、すぐに5つあることが分かった。ノラは数え間違えたにちがいないと思った。
周りには何もなかったので、また彼女にはほかに行くところがなかったので、ノラは建物の方へ用心深く進み出た。
ノラは自分の腕時計のデジタル表示を見た。
00:00:00
午前0時、時計は彼女にそう告げていた。
ノラは次の秒が来るのを待ったが、それは来なかった。ノラが建物の方へ歩いていって、木製の扉を開け、中へ入ったときでさえ、デジタル表示は変わらなかった。ノラの腕時計がおかしいのか、時間がおかしかった。そのような状況ではどちらでもありえた。
何が起きているのだろう、とノラは不思議に思った。いったい、何が起きているんだ?
多分、この場所に答えがあるに違いない、ノラは思った。ノラは建物の中に入っていった。その場所は明るかった。床は淡い色をした石造りだった。その色は古いページの色のごとく淡い黄色と黄土茶色の中間ぐらい。しかし、ノラが外で見た窓は中にはなかった。実際、ノラは数歩前へ歩み出てみたが、壁もなかった。代わりに、本棚があった。通路に並んでいる棚は天井まで届きそうである。本棚はノラが歩いてきた大きくて広い廊下から枝分かれしている。ノラはひとつの通路に入っていって、無数にあるように思われる本を困ったように見つめた。とても薄い本たちは棚のそこら中にあり、背表紙がよく見えない。本は全部緑色だった。さまざまな色合いの緑。本は暗い沼の緑だったり、明るい黄緑色だったり、くっきりとしたエメラルド・グリーンだったり、夏の芝生の青々とした色合いだったりした。
夏の芝生の主題について。本は古く見えるという事実にも関わらず、図書館の空気は新鮮だった。図書館には、古い大冊のほこりっぽい匂いではなく、青々と茂った、草の生えたアウトドアのような匂いがあった。
棚は、学校のアート・プロジェクトでの1点の眺めを示す線のごとく、真っ直ぐと長くはるか水平線の彼方まで永遠に続いてるように思われた。時々、廊下がそれを遮るときを除いては。ノラは無作為に廊下を選び、歩き始めた。次のコーナーでノラは左に曲がり、少し迷った。ノラは出口を探ったが、出口の標識はなかった。ノラは入り口へともと来た道を引き返そうとしたが、ダメだった。
結局は、ノラは出口は見つけられないだろうと判断した。「これは異常です」ノラはひとり呟き、自分の声に慰みを見出した。「明らかに異常です」
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