MATT HAIG著 『THE MIDNIGHT LIBRARY』翻訳其の⑪
多数のページで繰り返される絶え間ない背景の後悔があった。「私はラビリンスに居続けなかったことを後悔している。なぜなら、私は兄をがっかりさせたので」「私は環境のためにもっとやらなかったことを後悔している」「私はソーシャルメディアに費やした時間を後悔している」「私はイジーとオーストラリアに行かなかったことを後悔している」「私はもっと若かったとき、もっと楽しまなかったことを後悔している」「私は父親とのあのすべての言い合いを後悔している」「私は動物たちとの同僚でなかったことを後悔している」「私は大学で哲学の代わりに地質学をやらなかったことを後悔している」「私はどうよりハッピーな人間になれるかを学ばなかったことを後悔している」「私は大変な罪の意識を感じていることを後悔している」「私はスペイン語を継続してやらなかったことを後悔している」「私はAレベルで科学の科目を選ばなかったことを後悔している」「私は氷河学者にならなかったことを後悔している」「私は結婚しなかったことを後悔している」「私はケンブリッジで哲学の修士号の研究に申請しなかったことを後悔している」「私は健康を維持できなかったことを後悔している」「私はロンドンへ引っ越したことを後悔している」「私はパリへ行って英語を教えなかったことを後悔している」「私は大学で書き始めた小説を仕上げなかったことを後悔している」「私はロンドンから出ていったことを後悔している」「私は将来への見通しのない仕事を得たことを後悔している」「私はより良い妹でなかったことを後悔している」「私は大学卒業後ギャップ・イヤーを持たなかったことを後悔している」「私は父親をがっかりさせたことを後悔している」「私は自分が演奏するよりピアノを教えることに専念したことを残念に思う」「私は自分のお金のずさんな管理を残念に思う」「私は田舎で暮らさなかったことを後悔している」
幾つかの後悔は他の後悔たちより多少おぼろげだった。ひとつの後悔は実際目に見えないものからくっきりしたものに移り変わり、また元に戻った。あたかもノラが見ているその場で光が明滅を繰り返すかのごとく。その後悔は「私はまだ子供を産んだことがなかったことを後悔している」という後悔だった。「それは時々はあり、時々はない後悔です」エルムさんは、どういうわけかノラの心を読んだかのごとく説明した。「多少、そういう後悔はあるのよ」
34歳より先の本の終わり頃の最長の章では、ダンに特化した後悔がたくさんあった。これらの後悔は極めて強くくっきりしていた。それはハイドン協奏曲の進行中のフォルテシモの和音のごとくノラの頭の中で再生された。
「私はダンに冷酷だったことを後悔している」「私はダンと別れたことを後悔している」「私はダンと田舎のパブで暮らさなかったことを後悔している」
ノラがそのページを見つめているいま現在、ノラはほぼ結婚しかけた男のことを考えていた。
後悔の過負荷
ノラはイジーとむさくるしい場所で暮らしていたときにダンと出会った。大きな笑い顔に短いあごひげ。見た目はテレビに出てくる獣医。楽しげで好奇心が強い。ダンはお酒をかなり飲んだ。しかし、二日酔いとはいつも無縁のようだった。
ダンはアート・ヒストリーを勉強しており、プロテイン・ビスケットのPRマネージャーになることで、彼のルーベンスとティントレットに関する深い知識を最大限に役立てた。しかしながら、ダンには夢があった。ダンの夢は田舎でパブを経営することだった。それは、ダンがノラとシェアしたがっていた夢だった。
ノラはダンの熱意に心を奪われた。魅了された。しかし、突然ノラはダンとは結婚したくなかったことに気づいた。
心の奥底では、ノラは母親になることを怖れていた。ノラは自分の親の結婚を再現したくなかった。
ノラはまだ後悔の書をぼんやりと見つめながら、自分の両親ははたして愛し合っていたのだろうかと勘繰った。あるいは、両親は結婚とは適切な時期に最も身近の一番都合良い人間とするものなので、結婚したのではないかと勘繰った。音楽が鳴りやんだときにあなたが見つける一番最初の人間をつかみ取るところのゲーム。
ノラは決してそんなゲームはやりたくなかった。
バートランド・ラッセルはかつてこんな風に書いた。「愛を怖れることは人生を怖れることである。人生を怖れる者はすでに三つの部分が死んでいる」多分、それはノラの問題だった。多分、ノラはただ生きることを怖れていた。しかし、バートランド・ラッセルは、温かい夕食よりももっと多くの結婚と不倫を経験していた。それで、多分、ラッセルは誰にアドバイスしたわけでもなかった。
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