MATT HAIG著  『THE MIDNIGHT LIBRARY』翻訳其の⑤

 ノラの心は兄がノラのごとく感じてるかもしれないと考えて物悲しくなった。「ジョーはジョーではない」ラヴィは怒りを露わにして話を続けた。「ジョーはシェパーズ・ブッシュのとても小さな部屋から出なくてはならないだろう。成功したロックバンドのリード・ギタリストにはなれないという理由で。いいかい、僕もお金を持ってない。パブのギグは近頃はお金にならない。トイレをきれいにするって同意する時でさえ。ずっとパブのトイレを掃除してたんだよ、ノラ」「私たちが惨めなオリンピックをやってれば、私も相当くそみたいな時間を過ごしている」

ラヴィはコホンコホンと咳をして笑った。難しさのためラヴィの顔は一瞬、暗くなった。「世界で最小のバイオリンをプレイしている」

ノラは乗り気ではなかった。「ラビリンスのことなの?なお?」「ラビリンスは僕にとってとても大切だった、君のお兄さんにとっても。私たち全員にとっても。ユニバーサルと契約を交わした。まったく。そこで。アルバム、シングル曲、ツアー、広告ビデオ。俺たちはコールドプレイにだってなれる」「コールドプレイは嫌いなんじゃない」「そういうことじゃないんだよ。俺たちはマリブにいることだってできる。真実はベッドフォードだけどね。それで、君のお兄さんは君と会う準備ができていない」「私は不安発作に襲われていた。結局、みんなをがっかりさせた。レコード会社には私なしであなたを雇うよう言っといた。私は曲を書くことに同意した。仕事で時間がふさがったのは私のせいではなかった。私はダンに従った。それは一種の合意を壊すものだった」「えーと、そうだね。それはどういうふうになったの?」「ラヴィ、それはフェアじゃない」「フェア。いい言葉だ」

カウンター越しに女が関心でもってぽかんと見た。「バンドは長続きはしない。私たちは流星雨だった。バンドを始めるずっと前から」「流星雨はとても美しい」「ほら、あなたはまだエラでやってるんでしょ?」「エラでだって、成功したバンドでだってやれるし、お金だって稼げる。俺たちにはそのチャンスがあった。まさしくそこで」ラヴィは片方の手の掌を指差した。「俺たちの曲は炎だった」

ノラは黙って「俺たちの」から「私の」へと訂正したことで自分を疎んだ。「君の問題は舞台恐怖症ではなかったと思う。あるいは結婚式恐怖症でもなかった。君の問題は人生恐怖症だったと思う」この言葉は痛かった。この言葉はノラの出鼻をくじいた。

ノラは声を震わせながらやり返した。「あなたの問題はあなたのくそみたいな人生のことを他人のせいにすることだと思う」ラヴィはビンタを食ったかのごとく頷いた。ラヴィは雑誌をもとのところに戻した。「また会いましょう、ノラ」

「ジョーによろしくって言っといて」ノラは言った。ラヴィは店から出て、雨の中へと歩いていった。

ノラはユア・キャットのカバー表紙をちらりと見た。茶トラ猫。ノラの心は、ハイドンのシンフォニー、「疾風怒濤」のごとく騒々しかった。あたかもドイツの作曲家の幽霊がノラの心の中に監禁され、混沌と激しさを呼び起こすかのごとく。カウンター越しに女が何かを言った。「ごめんなさい」「ノラ・シードですか?」

その女ーブロンドのボブヘアで日焼けしているーはノラが知りようもないほどに幸せそうで何気なくてくつろいでいた。女は前腕を使ってカウンターから乗り出した。あたかもノラが動物園にいるキツネザルでもあるかのごとく。「はい」

「私はケリー・アンです。あなたのことは学校の頃から覚えてる。水泳選手で秀才。ブランドフォードさんが一度集会を開かなかった?あなたはオリンピックに行くと言っていた」ノラは頷いた。「それで、あなたはオリンピックへ行ったの?」「えーと、私はオリンピックを諦めました。あの頃……音楽に夢中になってた。それから現実が起こった」「それで、あなたはいま何をしてるの?」「私は物事の狭間にいます……」「それで、誰かいるの?男は?子供は?」


ゆるゆる警備員日誌

中年の警備員男子です。徒然なるままにケイビな日々を綴ります。

0コメント

  • 1000 / 1000