MATT HAIG著 『THE MIDNIGHT LIBRARY』翻訳 其の④
「えーと、あなたが宇宙の決定論的な見方に賛成していれば、自由意志のようなものはありません」「でも、なぜここなの?」「ここか動物保護センターだった。これは割に合った。プラス、ほら、音楽よ」「君はお兄さんとバンドに所属していた」「そうよ。ラビリンスってバンド。うまくいかなかったけど」「君のお兄さんは違ったことを言ってる」こいつはノラを驚かせた。「ジョーのこと?どうしてー」「君のお兄さんはアンプを買った。マーシャルDSL40ってアンプ」「いつ?」「金曜日」「兄はベッドフォードにいたの?」「それがホログラムでなかったならば。トゥパックのように」
兄は多分ラヴィのところに行っていた、ノラは思った。ラヴィは兄の親友だった。ジョーはギターを放棄し、彼が嫌っていたくだらないIT関係の仕事のためロンドンへ引っ越していたが、ラヴィはベッドフォードを見捨てなかった。ラヴィは現在、スローターハウス・フォーというカバー・バンドを演り、町中のパブでギグをやっていた。「まさしく。そいつは面白い」
きっと兄は金曜日がノラの休日だということを知っていたと思う。その事実はノラを内側から刺激した。
「私はここでハッピーです」「君がハッピーでないという事実を別にしては」
ニールは正しかった。心の病がノラの内側で悪化した。心の病は明らかだった。ノラは大きく微笑んでみせた。
「要するにこの仕事に満足よ。ねえ、ハッピーで満足してるの。ニール、私にはこの仕事が必要なの」「君は良い人です。君は世界のことを憂えてる。ホームレスのこと、環境のこと」「仕事が必要なの」ニールは孔子のポーズに戻った。「君には自由が必要なんだよ」「自由なんて欲しくない」「ここは非営利団体なんかじゃない。急速にそうなりつつはありますが」「ほら、ニール、こいつは先週、私が言ったことなの?コトをモダンにする必要のあるあなたのことなの?若い人たちの獲得の仕方のアイデアが幾つかあるのー」「いいや」ニールは何かを守るように言った。「ここはかつてはただのギターショップだった。ひも理論、分かるかい?それを多角化しました。この仕事を創った。厳しい時に、雨の週末のような顔つきでお客の要求をそらす君には給料は払えない」「何よ?」「あいにく、ノラ」ー
ニールは斧を空中へと持ち上げる時間ぐらい間を置いたー「君を解雇する必要がある」
生きることは苦しむこと
空はうっとうしい煤灰色の雲でいっぱいだった。まるでその空がノラの心を反映しているかのごとく。ノラは存在する理由を求めてベッドフォードの町を歩き回った。町は絶望のベルトコンベアだった。死んだ父親がかつてノラのスイミングを見守っていた小石打ち込み仕上げのスポーツセンター、ダンをファヒータを食べに連れて行ったメキシコ料理のレストラン、ノラの母親が治療を受けた病院。
ダンは昨日メールを送ってくれた。ノラ、君の声が聞きたい。話せる?ダン
ノラは物凄く忙しいと返答しておいた。だが、何かをメールするのは不可能のように思えた。なぜなら、ダンのことをもう思っていないからではなく、まだダンのことを思っていたからだ。またダンを傷つけることはできない。ノラはダンの人生を台無しにした。ノラが二日前に辞退した結婚式のすぐあと、ダンは酔っぱらって、自分の人生はカオスなんだよ、とノラへメールした。
宇宙はカオスとエントロピーの方へ向かっていた。それは簡単な熱力学だった。多分、簡単な存在論でもあった。
あなたは失業する、そしてより多くの厄介事が起きる。
風が木々の間でさざめいた。
雨が降り始めた。
ノラは事態はさらに悪くなるだろうという予感を抱きながら、新聞販売店の方へ避難した。
扉
ノラはゆっくりと目を閉じながら、父親の幽霊を見たような気がした。父親は自分のもとに泳ぎ着こうとしているノラを待ちながら、ストップウォッチを見つめていた。
ノラは目を開いた。ノラは新聞販売店の中へ入っていった。
「雨宿りしてるの?」カウンター越しに女性が訊いた。「ええ」ノラは頭を垂れていた。ノラの絶望は運ぶことのできない重しのごとく大きくなっていた。
ナショナルジオグラフィック誌が店頭に並んでいた。
ノラは雑誌のカバー表紙を見つめたーブラックホールの写真ーノラはそれが過去の自分であることに気づいた。ブラックホール。自重崩壊する死んでいく星。
父親はかつてナショナルジオグラフィック誌を定期購読していた。ノラは北極海にあるノルウェー領の群島、スヴァ―ルバル諸島についての記事にとりこになったことを思い出した。ノラはそんなに遠くにある場所を見たことがなかった。ノラは氷河と凍ったフィヨルドとツノメドリについて研究をしている科学者たちの記事を読んだ。それから、エルムさんに促され、ノラは自分は氷河学者になりたいと強く思った。
ノラは兄の友達で以前のバンド仲間だった見た目が薄汚く猫背のラヴィが音楽雑誌の記事に夢中になっているのを見た。ノラはほんのちょっとの間しかその場にいなかったように思う。なぜなら、ノラが歩き去ろうとしたとき、ラヴィが「ノラ?」というのを聞いたからだ。「こんにちは、ラヴィ。ジョーは先日、ベッドフォードにいたそうね」ラヴィは小さく頷く。「そうだよ」「あなたはジョーと会ったの?」「会いました」
苦痛のように感じられる沈黙。「ジョーは来るとは言わなかった」「ちょっと立ち寄っただけだった」「ジョーはうまくやってるの?」
ラヴィはそこで言葉を切った。ノラは昔はラヴィのことが好きだった。ラヴィは兄の忠実な友人だった。しかし、ことジョーに関して言えば、二人の間にはバリアのようなものがあった。ノラとジョーの別れ方はいい感じではなかった。(ノラがバンドを抜けると言い出したとき、ジョーはドラムスティックをリハーサル室の床に投げつけ、練習室から飛び出していった)
「ジョーは落ち込んでると思う」
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